自由社版『新編 新しい歴史教科書』でどう教えるか?

2010年4月から、横浜市の8区の中学校で『新編 新しい歴史教科書』が使用されることになりました。これらの区の多くの先生方が、自由社版歴史教科書の採択を望んでいたわけでもないのに、突如として市教育委員会が採択したことにとまどいを感じているのではないでしょうか。 この採択は、公正な採択のために設置された市審議会の答申を市教育委員会が無視し、しかも歴史教科書の採択だけが無記名投票で行われるという責任の所在を曖昧にする前例のない不当なものでした。そのように採択された自由社版歴史教科書は、検定で500か所あまりの指摘を受け不合格になり、再提出のさいにも136か所の検定意見がつけられ、これを修正してやっと合格したものです。しかも、検定で合格しているとはいえ、なお誤りや不適切な部分が多数あり、問題のある教科書です。このような教科書をどのように使用したらよいのでしょうか?
■まず、私たち「横浜教科書研究会」のこと、そしてこれまでのとりくみについてご紹介します。
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コラム 人物コラムに潜むもの ―「源頼朝と鎌倉武士」を解体する― (Vol.2)


コラム 人物コラムに潜むもの
―「源頼朝と鎌倉武士」を解体する―

70~71頁

主従関係の過剰な美化 源頼朝が鎌倉幕府を開き武家政治を行ったこと、将軍と御家人が「御恩と奉公」を仲介に主従関係を結んでいたことは、どの教科書でも取り上げられています。しかしこの教科書では、20「鎌倉幕府の武家政治」での説明にとどまらず、「歴史のこの人 源頼朝と鎌倉武士」という人物コラムのなかで、戦前には修身の教材であった、忠臣譚としての『鉢の木』を大々的に紹介し、「従」が命をかける主従関係をことさら美化しています。また、他の教科書よりひときわ大きく、『一遍上人絵伝』の図版を掲げていますが、建築・芸能・民俗・農業などの豊かな歴史情報が含まれているにもかかわらず、取り上げているのは「武」に関するものだけです。  
そもそも、このコラムを一読すると、読み物としてのまとまり・つながりに不自然さを感じます。それは、頼朝の人物コラムの姿を借りて、主のためには命を惜しまない人間像を肯定的に描くための素材が詰め込まれたからです。ちなみに扶桑社版では、「人物コラム 源頼朝」「読み物コラム 武士の生活」が並んでおり、自由社版もこれを土台にしたと思われますが、扶桑社版ですら『鉢の木』は取り上げていません。


コラムの思惑 本コラムは、「父を平氏に討たれて」、「頼朝、挙兵する」、「武家政権の誕生」という見出しを持つ頼朝の人生をたどった文章(27行)のあと、唐突に「物語『鉢の木』」という見出しと『鉢の木』の内容が続きます。ここがコラムの文章の半分以上(1行あたりの字数が異なるが47行)を占めています。つまり、人物コラムの体裁を取りながら、『鉢の木』の内容こそを語りたいという自由社の思惑は明白です。
また、コラム見開き2頁のうちおよそ半分が、「一遍上人絵伝(神奈川・清浄光寺蔵)」とクレジットの入った図版で占められています。本コラムでは説明がありませんが、この絵図は『一遍上人絵伝』の一部で、一遍が「筑前国の武士の館」を訪ねる場面です。ただし、その大きな取り扱いの割には、図版に関わる文章が収められている最後の見出し「武士の生活」の記述はたった8行しかありません。図版の説明文に「当時の鎌倉武士の生活の様子が細かく描かれている」とありますが、これに呼応するのは、コラムの結びの文章としての「高い板塀や館の周囲にめぐらされた塀、門前で警備する武士、そして馬小屋や狩猟用の鷹や犬、またいざ戦いとなれば武器として使える竹などが見える。他にもどんなものが見えるか、さがしてみよう」の部分だけです。これでは生徒の視線が「武」に関わるアイテムだけに誘導されてしまいます。

『鉢の木』はフィクション 本コラムでは、「物語『鉢の木』」を通じて、幕府と御家人の主従関係の強さ、貧しくとも「いざ鎌倉」に備えて馬と武具だけは手放さない御家人、その思いに応える執権北条時頼の為政者としての力量を賞賛しています。「物語」と見出しにありますが、文章では史実のように説明されているのも気がかりです。
まず確認すべきは、教材としての「物語『鉢の木』」の実態です。この話の内容は、室町時代後期に作られたといわれる謡曲(ようきょく)『鉢木』に取材したもので、時頼の「廻国伝説」(廻国自体は部分的には史実との説もある)の一端をなす後世の伝承です。時代的にも時頼の死後相当経過してから登場したものですし、謡曲という性質上、史実をそのまま反映したものでもありません。佐野源左衛門(常世(つねよ))という人名や、登場する地理的状況も創作であることが分かっています。ちなみに、「いざ鎌倉」という有名な文言は、実際の謡曲『鉢木』に存在しません。
そして注意すべきは、「いざ鎌倉」という幕府の呼びかけに応じる御家人は、当然恩賞が目的だったということです。当時の主従関係が、あくまで恩賞を仲介に成立していたことを忘れてはなりません。御家人である以前に、武士は在地領主でした。無私の奉公で将軍や幕府に命を捧げてしまっては、家族や領民が路頭に迷ってしまいます。
『鉢の木』はあくまでフィクション。本当にこの「美談」が御家人一般のありふれた出来事だったなら、そもそも創作にする必要はあったのかという冷静さも必要でしょう。

図版の活用ポイント さて、図版に描かれる「人間」に注目しますと、自由社がこの図版に詳しく触れたくない理由が見えてきます。庭で一遍に応対している「亭主」の他に、母屋に集う酔い乱れた客の武士、鼓を打ち今様(いまよう)を歌う遊女(あそびめ)、お酌係の垂髪の少年(武士の男色の相手も務める稚児小姓か)、母屋の縁には伴奏者と控えのお酒を用意する従者・・・ つまり武士の館で酒宴が開催されており、この後の買春や男色への展開まで匂わせる場面なのです。確かに自由社が主張する「いざ鎌倉」に備える武士像とはあまりにもかけ離れていますが、当時の風俗や武士の生活をよく伝える資料です。
実際の『一遍上人絵伝』には、本図版を含む複数の武士の館が描かれています。従来よりこの点で重視されていた資料ですが、以下の2点は押さえておきたいものです。
①『一遍上人絵伝』所収の複数の館は、現存する絵画に遺されたものでは最も鎌倉時代の武士館の特徴を表している(同時代の絵巻では寝殿造の様式で武士館が描かれる)。
②『一遍上人絵伝』所収の武士の館のなかでも本図版が傑出して「武」の要素を強調しており、当時の一般的な武士の館の事例として適当かどうかをまず考えるべきである。
本図版には、武士の生活に関わる情報が数多く盛り込まれていますが、紙幅の都合で2例だけ紹介します。図版の左手に描かれている畑は「門(かど)畠(ばた)」(田の場合は「門田」)です。中世の在地領主館の門前にあり、隷属する下人たちが耕作しました。これは館とともに、領主の支配権の象徴でした。また、右手には馬の姿がありますが、原本ではその下部に、飼い猿が描かれています。当時、猿には「魔除け」「縁起物」の意味がありました。武士の生活環境に存在したのは、鷹や馬という武士イメージに直結する動物ばかりだったわけではありません。
なお、執筆陣に絵巻研究の第一人者である黒田日出男氏を擁する帝国書院版は、この図版自体は使用していませんが、参考として利用し、中世の武士と領民の生活空間を再現した図を大きく掲載しています(帝国52~53頁)。ぜひご参照ください。