自由社版『新編 新しい歴史教科書』でどう教えるか?

2010年4月から、横浜市の8区の中学校で『新編 新しい歴史教科書』が使用されることになりました。これらの区の多くの先生方が、自由社版歴史教科書の採択を望んでいたわけでもないのに、突如として市教育委員会が採択したことにとまどいを感じているのではないでしょうか。 この採択は、公正な採択のために設置された市審議会の答申を市教育委員会が無視し、しかも歴史教科書の採択だけが無記名投票で行われるという責任の所在を曖昧にする前例のない不当なものでした。そのように採択された自由社版歴史教科書は、検定で500か所あまりの指摘を受け不合格になり、再提出のさいにも136か所の検定意見がつけられ、これを修正してやっと合格したものです。しかも、検定で合格しているとはいえ、なお誤りや不適切な部分が多数あり、問題のある教科書です。このような教科書をどのように使用したらよいのでしょうか?
■まず、私たち「横浜教科書研究会」のこと、そしてこれまでのとりくみについてご紹介します。
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■自由社版教科書を使用して授業をしなければならない、現場の先生方、保護者の方、自由社版教科書を使っている中学生を指導される塾の先生方に、お読みいただきたい冊子です。 
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人類のはじまりと日本列島(Vol.2)


人類のはじまりと日本列島
  
「01人類の進化と祖先の登場」,「02日本人はどこから来たか」12~15頁」

 ここで学びたいこと

1 直立二足歩行が人類への第一歩 人類はまず直立によって手が自由に使えるようになり、道具を作製し使用することが出来るようになりました。道具を作製することは脳を発達させ、直立姿勢によって、発達した脳を持つ頭を支えることもできるようになりました。また声帯の位置が変わったことによって言葉が発達し、言葉により協力して、大型の動物を狩ることができるようになりました。火も扱えるようになって、食物の種類も増え、寒さもしのげるようになりました。直立が出発点となって、人類は他の動物と異なる発展をとげるようになったのです。

2 アフリカ単一起源説 直立二足歩行した猿人が現れたのは約450万年前ですが、その後何種類もの直立二足歩行する人類の祖先が現れては絶滅していきました。その一部がアジアに進出してジャワ原人や北京原人、ヨーロッパに進出してネアンデルタール人となりました。そして今から20万年ほど前アフリカに出現したホモサピエンスが、10万年ほど前にアフリカを出て世界に広がり、現代の人類共通の祖先になったということが、遺伝子研究によって明らかになりました。

3 日本列島は大陸と陸続き 今から200万年前から1万年ほど前までの更新世は現在より気候が寒く、100万年ほど前からは特に寒い氷期が間氷期をはさんでおとずれる氷河時代でした。そのため氷期には海面が下がって、大陸と陸続きになりました。この時期に東アジアから渡って来た人々が、縄文時代以降次々と渡来した人々との混血を経て、現在日本列島に住む人々となりました。

4 日本の旧石器時代 日本列島に人が住みついたのは、確実なところでは4万年ほど前です。彼らは打製石器を主な道具とし、移動しながら狩と採集の生活を送っていました。その遺跡は日本列島のほぼ全域から5,000か所も発見されています。

ここが問題

1 「いまからおよそ450万年前…すでに二本足で直立歩行し、石を打ち欠いてつくった打製石器を道具にしていた」(12頁5~8行目)とあります。しかし450万年前に直立歩行した猿人が打製石器を作っていたかどうかは未確認です。一方約200万年前タンザニアなどにあらわれ、ホモ・ハビリスと名付けられた人類の祖先は、礫(れき)の一部を打ち欠いて石器として使っていました。まず直立二足歩行することが人類進化の第一歩で、彼らは空いた手を使って棒や自然の石を道具として使ったと思われますが、打製石器の作製に至るにはかなりの時間がかかるというのが一般的な説です。

2 「日本列島に最初にやって来たのは、シベリアの地で、マンモスなど大型の草食動物をとらえ、食料にして暮らしていた人々だった」(14頁6~8行目)とあります。しかしシベリアから樺太を通って(北の陸橋経由で)北海道に渡って来た人々とともに、朝鮮半島を通って(南の陸橋経由で)九州に渡って来た人々もいたはずです。更新世の動物のうち、ナウマンゾウやオオツノシカはシベリアではなく中国などアジア大陸東部に生息していたからです。
よく見ると12頁の地図でも、アジアから朝鮮半島に達した矢印はそこで途絶えて、九州につながっていません。この教科書では南の陸橋経由で人類が渡来したことに否定的なようですが、南北両方からの渡来が定説です。沖縄県港川遺跡で発掘された旧石器人骨の特徴も、インドネシアのワジャク人との類似が指摘されており、その点からも南方からの人類の渡来が裏付けられます。

3 (14頁「マンモスを狩る旧石器時代の人々」想像図)この絵を見ると日本でも旧石器時代の人々が盛んにマンモスを狩猟していたように誤解してしまいます。しかし日本でマンモスの化石が見つかっているのは北海道だけです。深さ133mの津軽海峡は最も海面が低下した時期にも陸地となることはなく、マンモスが本州に渡ってくることはできなかったのです。それに対しナウマンゾウの化石は本州各地で発見されており、野尻湖遺跡では打製石器と共に見つかっているので、旧石器時代人がナウマンゾウ狩りをしていたことは確実です。また、この絵の隣の(大陸から移ってきた動物たち)の絵は、マンモスよりオオツノシカが大きいなど縮尺がめちゃくちゃです。

アドバイス

人類の誕生は歴史を学ぶはじめに、生徒に興味を持たせる格好の題材です。人類と他の哺乳動物との違いを自由に発言させてみましょう。直立二足歩行が進化の始まりだと分かったら、なぜ直立したのかも考えさせましょう。これには、気候の変動で森が少なくなったため草原を歩くようになったとか、水中で餌を探すために立った姿勢になった、など研究者によっても様々な説があります。

マンモスは津軽海峡を渡れなかったのに、人間はどうやって深い海峡を渡って来ることが出来たのでしょうか。海峡に氷が張りつめた時期があったかもしれません。舟やいかだを使った可能性もあります。考えさせてみましょう。