自由社版『新編 新しい歴史教科書』でどう教えるか?

2010年4月から、横浜市の8区の中学校で『新編 新しい歴史教科書』が使用されることになりました。これらの区の多くの先生方が、自由社版歴史教科書の採択を望んでいたわけでもないのに、突如として市教育委員会が採択したことにとまどいを感じているのではないでしょうか。 この採択は、公正な採択のために設置された市審議会の答申を市教育委員会が無視し、しかも歴史教科書の採択だけが無記名投票で行われるという責任の所在を曖昧にする前例のない不当なものでした。そのように採択された自由社版歴史教科書は、検定で500か所あまりの指摘を受け不合格になり、再提出のさいにも136か所の検定意見がつけられ、これを修正してやっと合格したものです。しかも、検定で合格しているとはいえ、なお誤りや不適切な部分が多数あり、問題のある教科書です。このような教科書をどのように使用したらよいのでしょうか?
■まず、私たち「横浜教科書研究会」のこと、そしてこれまでのとりくみについてご紹介します。
 →横浜教科書研究会のとりくみ
■これまでに発表した声明を掲載します。
 →これまでに発表した声明
■自由社版教科書を使用して授業をしなければならない、現場の先生方、保護者の方、自由社版教科書を使っている中学生を指導される塾の先生方に、お読みいただきたい冊子です。 
 →自由社版『新編 新しい歴史教科書』でどう教えるか?
■私たちの活動にぜひご協力ください。
 →カンパのお願い
■研究会主催の集会などイベントのご案内です。ぜひご参加ください。
 →イベントのお知らせ
■私たちの活動に関連する有益な書籍をご紹介します。
 →参考書籍

縄文文化と土偶(Vol.2)


縄文文化と土偶

「03縄文文化の1万年」,「歴史へゴー!長野の尖石縄文遺跡群」16~19頁

ここで学びたいこと

1 狩猟漁労採集を組み合わせた新石器文化 縄文時代は地質学では完新世で、気候は旧石器時代よりずっと温暖になります。海面上昇により日本列島は大陸から離れ、東アジアの文化の直接的な影響は少なくなります。また広葉樹の森で得られる木の実や、鹿・イノシシなどの中型動物、魚貝類が新たに食料となって、生活は前の時代より安定し豊かになります。磨製石器、弓矢、土器という新たな道具を使用することから、縄文時代は新石器文化の時代です。しかし本格的な農業や牧畜はおこなわれず、狩猟漁労と植物の採集・栽培を組み合わせた、日本独特の新石器文化でした。後期には西日本でイネ・ヒエ・アワなどの畑作も始まりました。

2 集落の交流と物資の交換 縄文時代は数十人程度の集団が集落を作って定住生活を送りました。食料をはじめ生活に必要な物は集落の周辺で自給自足をしました。しかし他の地域の集落との間に緩やかな交流もあり、石器の材料の黒曜石など居住する地域で手に入らない品は、遠い産地から物々交換で入手しました。

3 貧富の差のない社会 豊かになったとはいえ、縄文時代は食料のほとんどを自然に依存していました。そのため集落では常に共同で働き、得られた食料は集落内の秩序に従って分配されました。集団には統率者や呪術師は存在しましたが、特別に立派な墓や副葬品の多い墓は無く、貧富や身分の差の明瞭に表れない社会でした。

4 呪術の発達 自然に依存する社会は、獲物が捕れなければただちに飢えに直面します。そのため自然の恵みを祈る呪術が発達しました。縄文土器の複雑な文様や、女性をかたどった土偶はその表れです。


ここが問題

1 16頁黒潮の地図、9行目の文 「やがて人々は黒潮にのって日本列島にたどり着いた」とあります。しかし、縄文時代に新たに渡来した人々には「黒潮にのって」来た人とともに、北から樺太を経由したり、朝鮮半島南部を経由した人々の渡来も考えられます。彼らが旧石器時代に日本列島に住みついた人々と交流して作りだしたのが縄文文化です。

2 16頁「縄文時代の集落の生活」想像図 この図はおかしなところだらけです。まず集落の立地ですが、竪穴住居に暮らす縄文時代の人々は、台地や丘陵上に集落をつくるのが一般的です。この絵のような海岸の砂浜に集落を形成する例はあまりありません。絵では屋外に石囲い炉を作って煮炊きをしていますが、縄文時代の炉は竪穴住居の内部に造られます。集落の片隅に整然とした畑がありますが、縄文時代の畑の遺構は確認されておらず、どのような場所にどんな形の畑が作られたのかよくわかっていません。想像図としては描きすぎです。

3 17頁遮光器土偶の写真 この写真の説明文には「目が異様に大きいことから、サングラスをかけているようだという意味の名前がつけられた」とありますが間違っています。「遮光器」というのはカナダのイヌイットなどが用いていた、丸い板に横一直線に細い溝を開けた独特の雪眼鏡(めがね)のことです。土偶がこの「遮光器」をつけた様子とよく似ているためにつけられた名称です。またこの写真に限らず、教科書に掲載された土器や土偶、埴輪などに大きさの表示が無いのは誤解をまねきます。遮光器土偶は高さ34.2㎝、19頁の仮面土偶も高さ34㎝でともに国内最大級です。

4 17頁19行目 「縄文時代には、日本人のおだやかな性格が育まれ…」とありますが、日本人をおだやかな性格と決めつける根拠は何もなく、歴史教科書の記述としてはふさわしくない独断です。

5 18頁左7行目 「野、山に、海、川に食べ物は豊かで、したがって戦争もおこす必要がなく」という箇所はおかしな解釈です。確かに縄文時代の人々は、自然の恵みを多角的に利用し比較的安定した生活を営んでいました。しかし豊かに見えても余分な富の蓄積はありません。その中で人々は自然との調和を重んじ、命を大切にする文化を持っていた可能性があります。一方、計画的な食料生産が行われ富の蓄積された社会では、蓄積された富をめぐって戦争が起こります。日本では弥生時代に、武器の発達や環濠集落の存在から、小国同士の戦争が起こったことが推定されます。

6 18~19頁の土偶写真 これらの土偶が遺跡全体のどの部分に、どのように埋められていたのか、という出土状態の記述が無いのは問題です。「縄文のビーナス」は棚畑遺跡の、環状に並ぶ竪穴住居の中央の土坑墓群の一つから発見されました。膨らんだ腹部と大きなお尻から妊娠した女性を表現したことがわかります。教科書には「あどけない表情」とありますが、側面からの写真だけで顔がよくわかりません。実は右の写真のように釣り上がった目をした、縄文時代中期の中部地方・関東地方の土偶独特の表情をしています。「仮面土偶」も中ッ原遺跡の環状集落の中央部に設けられた、土坑墓群の一つから出土しました。右足は人為的に折られた状態で埋められていました。

アドバイス

1 19頁の棚畑遺跡の写真は色々なことを語ってくれます。よく見ると集落の両端に住居が密集しているのに対し、中央には住居の無い空き地のような部分があります。ここにある小さな穴は墓穴です。住居が墓地となる広場を囲むように配列されているのです。

2 多くの土偶が女性を表現しているのはなぜか、墓地に埋められたのはなぜか、足などが折り取られている場合が多いのはなぜか、生徒たちに考えさせましょう。