自由社版『新編 新しい歴史教科書』でどう教えるか?

2010年4月から、横浜市の8区の中学校で『新編 新しい歴史教科書』が使用されることになりました。これらの区の多くの先生方が、自由社版歴史教科書の採択を望んでいたわけでもないのに、突如として市教育委員会が採択したことにとまどいを感じているのではないでしょうか。 この採択は、公正な採択のために設置された市審議会の答申を市教育委員会が無視し、しかも歴史教科書の採択だけが無記名投票で行われるという責任の所在を曖昧にする前例のない不当なものでした。そのように採択された自由社版歴史教科書は、検定で500か所あまりの指摘を受け不合格になり、再提出のさいにも136か所の検定意見がつけられ、これを修正してやっと合格したものです。しかも、検定で合格しているとはいえ、なお誤りや不適切な部分が多数あり、問題のある教科書です。このような教科書をどのように使用したらよいのでしょうか?
■まず、私たち「横浜教科書研究会」のこと、そしてこれまでのとりくみについてご紹介します。
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■自由社版教科書を使用して授業をしなければならない、現場の先生方、保護者の方、自由社版教科書を使っている中学生を指導される塾の先生方に、お読みいただきたい冊子です。 
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和風を完成した室町の文化(Vol.2)


和風を完成した室町の文化

「26和風を完成した室町の文化」82~83頁
ここで学びたいこと

1 公武文化の融合 室町幕府の足利義満が、武家と公家の頂点に位置して政治を行ったことを背景にして、公家の文化と武家の文化が融合した文化が成立しました。足利義満が政治の拠点とした北(きた)山(やま)殿(どの)の舎利(しゃり)殿(でん)(金閣)は、公家文化の寝殿造と武家が保護した禅宗の仏堂を兼ね備えており、公武文化の融合を象徴しています。

2 禅宗の文化 中国大陸からもたらされた禅宗が、武家の保護を受けたため、禅宗の文化が広まりました。室町幕府によって保護された禅宗の僧は、外交や貿易で活躍するとともに、水墨画や漢詩文などの中国大陸の文化を紹介しました。また、禅僧によってもたらされた喫茶の習慣から、茶の湯が流行しました。

3 民衆の文化

田植えの時に行われた田楽や寺院の祭礼で行われた猿楽が、民衆に流行しました。田楽や猿楽は、観阿弥・世阿弥父子によって、能へと発展していきました。狂言は、能の合間に演じられた寸劇で、民衆の視点から武士や僧を風刺しました。また、絵入りの物語であるお伽草子が読まれ、現在に伝わる「浦島太郎」や「一寸法師」などの説話の原型が成立しました。




ここが問題

1 82頁「和風を完成した室町の文化」のタイトルには注意が必要です。「和風」は不適切な表現であり、自由社版教科書が、室町文化が民衆の文化や中国大陸の文化とも関連しているのを軽視していることを示しています。

2 82頁3~7行目「多くの人びとが難民となり…河原に住みつくようになった。こうした漂流者たちは放置された死体の埋葬や墓の造成,芸能などで暮らしを立てていた。京の町の人びとはこのような人たちを「河原者」とよんでさげすんだ」とあります。南北朝内乱による京都周辺の戦争で発生した難民が、京都に流入して河原者になったとする説明は誤りです。河原者は、平安時代から存在した身分集団であり、南北朝内乱により登場したわけではありません。河原者は、京都の河原に居住して、動物の死体処理や死者の葬送、犯罪人の処刑、社寺の清掃などを行っていました。死のけがれの清めに関わることから、畏怖・忌避され、差別を受けるようになっていきました。河原者は、能楽や庭園の造園などで技術を発揮しました。教科書85頁に写真が掲載されている竜安寺の石庭の庭石には、「小太郎」・「清二郎」という造園に従事した河原者の名が刻まれています。

3 82頁20~23行目「金閣を建てた。…この建物は,公家(貴族)好み,武家好み,寺院風,それぞれの建築様式を1棟で3層に重ねているところに特色がある」とありますが、注意が必要です。金閣(鹿苑寺舎利殿)は、初層は寝殿造風、三層は禅宗の仏堂風になっています。
二層については、「和様仏堂風」(太田博太郎「鹿苑寺金閣」『国史大辞典』吉川弘文館)、「寝殿造住宅」(谷直樹「鹿苑寺金閣」『日本史大事典』平凡社)、「武家造」(平井俊栄「鹿苑寺」『日本大百科全書』小学館)、「書院造」(今谷明「金閣と足利義満」『見る・読む・わかる日本の歴史2中世』朝日新聞社)など見解が定まっていません。初層が公家文化の寝殿造、三層が武家によって保護された禅宗の仏堂になっていることから、東書では、「公家の文化と武家の文化との融合」(70頁)と説明されています。

4 83頁1~2行目「能と狂言は平安時代から民間におこった猿楽,田楽を磨いた舞踊劇」とありますが、注意が必要です。能は、民衆に流行していた田楽や猿楽が、観阿弥・世阿弥父子によって芸術性が高められた歌舞劇であり、狂言は、能の合間に演じられた対話劇です。
民衆の芸能が、武家や公家へと広がっていった点が重要です。自由社版では、室町時代に民衆によって田楽が演じられていたことや、狂言が民衆の視点から武士や僧を風刺した内容をもっていたことなどが説明されておらず、民衆の文化を軽視した記述になっています。教科書80頁の『月次(つきなみ)風俗図(ふうぞくず)屏風(びょうぶ)』は、田楽の様子を描いた部分がよくわからないように掲載されており、生徒が民衆の生活と文化を理解しやすいような構成になっていません。帝国書院版では、『月次風俗図屏風』の田楽の様子を描いた部分が掲載され、「室町時代の村では,猿楽や田楽などの芸能が演じられており,猿楽からは能が生まれ」(78頁)と説明されています。『月次風俗図屏風』は、田楽を演じる民衆の躍動感を読み取ることができる絵画史料として、活用したいものです。

5 83頁7~9行目「天皇の子でありながら少年僧から修行を積み,やがて偉大な思索の境地に達した一休」とあります。一休が天皇の子であることを強調して、思想を高く評価していますが、その活動内容には言及していません。一休は、臨済宗の禅僧で、在家的、民衆的な禅の立場から、室町幕府の保護下にあった五山の僧の腐敗や堕落を厳しく批判しました。

アドバイス

教科書前文11頁に掲載されている『洛中洛外図屏風』は、室町時代の京都の街並みや祗園祭の様子を読み取ることができる絵画史料です。祗園祭が、京都の町衆によって自治的に運営されたことも重要です。