自由社版『新編 新しい歴史教科書』でどう教えるか?

2010年4月から、横浜市の8区の中学校で『新編 新しい歴史教科書』が使用されることになりました。これらの区の多くの先生方が、自由社版歴史教科書の採択を望んでいたわけでもないのに、突如として市教育委員会が採択したことにとまどいを感じているのではないでしょうか。 この採択は、公正な採択のために設置された市審議会の答申を市教育委員会が無視し、しかも歴史教科書の採択だけが無記名投票で行われるという責任の所在を曖昧にする前例のない不当なものでした。そのように採択された自由社版歴史教科書は、検定で500か所あまりの指摘を受け不合格になり、再提出のさいにも136か所の検定意見がつけられ、これを修正してやっと合格したものです。しかも、検定で合格しているとはいえ、なお誤りや不適切な部分が多数あり、問題のある教科書です。このような教科書をどのように使用したらよいのでしょうか?
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歴史を学ぶことの意味(Vol.1)

歴史を学ぶことの意味


1 歴史を学ぶのはなぜか?  


 現在に生きる私たちは、なぜ過去を知ろうとするのでしょうか。何のために歴史を学ぶのでしょうか。過去の出来事を知識として知るためではなく、現在そして未来の社会を築く糧とするためには、過去の事実と向き合うことが必要である  私たちは、それが歴史を学ぶ理由だと考えます。

 実は、20104月から横浜市の子どもたちが使用する『新編新しい歴史教科書』にも、同じことが書いてあります。
 歴史を学ぶとは、未来に開かれた、過去の人々との対話なのである。(10ページ)  
 一見、同じ立場に立っているように見えるこの教科書を、私たちは、なぜ批判するのでしょうか? それは、この教科書では、対話すべき"過去の人々"のすがたを、事実に基づいて理解しようとする姿勢がたいへん弱く、そのために、子どもたちが事実に基づかない過去のイメージから、危うい未来を描いてしまうのではないかと恐れるからです。



2 「事実」に向き合うとは?



 でも、文部科学省の検定に合格した教科書でしょう? と思われるかもしれません。10年前、この教科書のもとになった『新しい歴史教科書』(扶桑社版)が、検定合格にもかかわらず、多くの間違った記述があって、問題になりました。今回の自由社版の教科書も、検定合格とはいえ、すでに多くの間違いが指摘されています。他者の教科書とは、比べものにならないほどです。この教科書が問題なのは、ミスの多い粗雑な執筆・編集だけではなく、何度訂正しても、また新たな誤りを生んでしまうという、他の教科書にはない特別な原因を抱え込んでいる点にあります。

それは、どういうことでしょう。歴史を学ぶ意味について、上に引用した文の下敷きになっているのは、EH・カーというイギリスの歴史家の「(歴史とは)現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」という言葉だと思われます。そこで、カーが問題にしたのは、歴史家と歴史上の「事実」との関係でした。カーは、「総体としての過去の事実」を把握することは困難だとしたうえで、それでも「事実」を尊重する努力は決して捨ててはならないと述べたのです。カーは、これを、歴史家は「事実」に対する「暴虐な主人」になってはならないとも説明しています。

 では、この教科書は、「事実」にたいする「暴虐な主人」とならず、過去に起きた事実、過去に生きた人々と誠実に「対話」しようとするものなのでしょうか? たとえば、「赤穂事件」(忠臣蔵)を主題としたコラム「武士道と忠義の観念」のページをみてみましょう(114ページ)。そこでは、赤穂事件は、実際に起きた事実やそれに対すう当時の人々の見方とはかけ離れた「主君への忠義を全うするためにみずからの命を捨てた」という美談として――つまり 「事実」を無視したり都合のよい「事実」だけを利用した物語として描かれています(本冊子14ページ参照)

 なぜ、このように「事実」を無視したり都合のよい「事実」だけを利用した物語として教科書を書くのでしょう? それは、この教科書が、カーのいうように、さまざまな「事実」と向き合いながら過去との「対話」をおこなうのではなく、特定の価値観や道徳(「赤穂事件」の箇所でいえば、「忠義」の観念を「日本を守るという責任」と結びつける見方)を、歴史教育を通じて子どもたちに注ぎ込もうとする立場にたって書かれているからではないでしょうか。



 歴史は教え込むもの?


 実は、このような、ある特定の価値観や道徳を教え込む歴史教育は、戦前の日本では、当たり前のこととされていました。明治時代の政治家で初代の文部大臣を務めた森有礼は、学問と教育とは別である、歴史教育は、歴史上のある物語を示して、教育する対象の子どもたちの心に感奮興起するものを刻み込むものである、と述べています。戦前において、刻み込むべき価値観は、天皇のために命をかける「忠君愛国」の思想であったことはいうまでもありません。この教科書も、「赤穂事件」の記述にみるように、「感奮興起」をともなう教え込みの立場、すなわち教化主義の立場に立って書かれています。そして、さまざまな「事実」の存在に目をつむり「物語」を主張するために、繰り返し「事実」を無視した誤りが生み出されているのです。

 私たちは、歴史教育は、道徳や特定の価値観を注入する目的でおこなうものではないと考えます。子どもたちも、さまざまな「事実」に触れるなかで、「どうしてかな?」、「なぜだろう?」と考えながら、必要な見方や考え方を学び取っていくことを求めているのではないでしょうか。「教科書を教える」のではなく、「教科書で教える」授業が大切だといわれます。それは歴史教育においては、とりわけ大切な視点なのです。



4  自国だけにこだわる内向きな教科書でいいの?


 また、「事実」と誠実に向き合うことのない教科書には、もう一つの大きな問題が生じます。それは、多様な視点から歴史をふり返ることがないために、他者や広い世界へのまなざしを欠いた、たいへん内向きな歴史像が描かれるという点です。

日本は長い歴史を通して、外国の軍隊に国土を荒らされたことがない国だった。ところが、大東亜戦争(太平洋戦争)で敗北して以来、この点が変わった。 全土で約50万人もの市民の命をうばう無差別爆撃を受け、原子爆弾を落とされた。その後の占領によって、国の制度は大幅に変更させられた。戦後、日本人は、努力して経済復興を成しとげ、世界有数の経済大国の地位を築いたが、いまだにどこか  自信をもてないでいる。戦争に敗北した傷跡がまだ癒えない。(229ページ)

 この教科書は、「大東亜戦争」での日本の敗北に強いこだわりを示していますが、歴史を学ぶ目的の一つとして、「戦争に敗北した傷跡」がまだ癒えないために「自信」をもてず、「方向性を見失いつつある」「日本人」に、「自信」を与えることがあげられています。

 もちろん、戦争の傷跡は、今なお癒えぬ傷として、私たちの父母や祖父母の世代の記憶に刻み込まれています。しかしそれ以上に、当時の日本の国家予算の80%以上を戦費に投入しておこなわれた総力戦は、戦場となったアジア・太平洋地域の人々の記憶に癒えることのない苦しみとして、深く刻み込まれているはずです。子どもたちは、双方の人々の経験や思いにふれることにより、はじめて戦争の原因とその結果、平和の意義を理解することができるでしょう。しかし、この教科書では、戦争を、日本の被害の面を強調し、戦後の改革をも外から強いられたものとしてとらえる視点しかありません。アジア・太平洋地域の人々に及ぼした甚大な加害や、戦争への反省に立ち制度改革を求めた人びとの願いは、まったく視野から除かれています。自国のことしか見えない、このような内向きで偏った歴史観が、今日の子どもたちにふさわしいといえるでしょうか。



5 クラスメートとともに学べる歴史の授業を


これから学ぶ歴史は、日本の歴史である。いいかえれば、みなさんと血のつながった先祖の歴史を学ぶということである。(9ページ)

 ここでは、「日本の歴史」が「みなさんと血のつながった先祖の歴史」と 「いいかえ」られています。この言い換えは、学習者を、「日本」に「血のつながった先祖」をもつ者に限定しています。同教科書市販本につけられた『日本人の歴史教科書』というタイトルは、それをよりはっきりと示しています。

 しかし、このように学習者を限定してしまってよいのでしょうか。現在、日本に住み日本社会のことを学ぼうとしている人びとは、「日本人」だけではありません。かつて日本が植民地支配を行なっていた時代に日本に渡ってきた人びとやその子孫、今日グローバル化が進むなかで新たに日本に来るようになった人びとやその子どもたちなど、日本をはじめさまざまな国籍やルーツをもつ子どもたちがともに学ぶすがたは、ごくあたり前のこととなっています。そうした多様な子どもたちの姿を視野から外すこと、「血のつながった先祖」を「日本」にもたない子どもたちを「部外者」にしてしまうことになりかねません。


6  多様でゆたかな文化を学べる教科書を
  日本人は外国から深く学ぼうとしたが、それによって自国の文化的な独自性を失うことはなかった。……飛鳥文化から江戸の文化にいたるまで、いずれをとっても日本らしいユニークな個性を備えつつ、しかも世界に通用する普遍的な魅力をもっているからである。(229ページ)

 この教科書では、日本文化の伝統や独自性が歴史を通して継承されたことがことさらに強調されます。しかし、「自国の文化的な独自性」とはいったい何を指すのでしょう。日本列島を枠組みとした文化には共通性も認められますが、いっぽうでアイヌや琉球の人びとなどの間では、それぞれ異なる固有の文化がはぐくまれてきました。また、列島内に無数に存在した都市や農村、山村、漁村などでは、そこに住むひとのくらしに根ざした独自で多様な文化が展開してきました。そしてこれらは古代から現代にかけて、持続する面をもちつつも、絶えず海外の文化と影響を与えあい、混じり合うことによって、常に変化し続けてきました。現代に生きる私たちの価値観や生活スタイルは、このような流れのなかに位置づけられているといえます。

  「文化」を人びとのくらしに根ざした多様で変化あるものととらえることで、はじめて歴史を自分自身と結びつけて理解することができるのではないでしょうか。



未来をひらく歴史とは?


 さて、未来の社会を切りひらいていく子どもたちにとって必要なのは、自国と外国との間に境界線を引き両者を比較しながら、自国のおかした過去の誤ちには眼をつむり、「日本人」の優秀さだけを強調することで身につける「自信」なのでしょうか? 多様な立場や見方を排して特定の価値観を一律に身につけることなのでしょうか?

 現在は、多様な価値観をもった人々との共存が従来にも増して必要とされる時代です。自国と外国との間に存在する障壁を問い直し、独りよがりにならずに、過去にあったさまざまな「事実」の重みを通して歴史と社会を見る眼をはぐくんでいくこと、それによって子どもたちが未来の社会の形成者として成長してゆくこと  私たちは、それが歴史教育の最も大切な課題であると考えます。