神話を教える視点は?Ⅰ
〔「日本の神話」〕
〔「日本の神話」〕
教科書44~45頁
コラム欄に、「日本の神話」が後、「神武天皇」が先という配置で神話が2つ載っています。「日本の神話」の話の後に「神武東征」が続くのですから、こちらから検討します。
1 『日本書紀』を無視したのは何故?
「日本の神話」とありながら、「『古事記』にある神話のあらすじを紹介する」とあり、『日本書紀』は無視しています。どうしてでしょう? 江戸時代に本居宣長が『古事記』にこそ日本の心があるとして以後、敗戦までの近代史を通じ、「神代」(かみよ)の話については『古事記』を重視してきた、それを継承したためです。『古事記』と『日本書紀』では、似た話が多いですが、神話の体系は大きく異なっています。異なりの度合いをどの程度のものとみるかは、現在論争が展開されていますが、『日本書紀』を含めて日本神話とする点では一致しており、『古事記』だけで日本神話が説明出来ると考える学者はいません。神話冒頭が両神話の体系の違いを考えるうえで大切な部分ですので、そこだけ説明します。 『古事記』は《最初に天地ができた時、高天原(たかまがはら)に天之御中主神(あめのみなかぬしのみこと)が登場した》とだけ語ります。『日本書紀』は《まだ天と地が分かれていなかった時、まるで卵の黄身と白身が廻転しているような状態だったのが、軽い方が先に天となり、後に重たい方が地となり、そこに葦牙(あしかび)〔葦の先〕のような物が生まれてきた。これが国常立尊(くにのとこたちのみこと)と言う神です》と語るのです。『日本書紀』最初の神国常立尊(くにのとこたちのみこと)は『古事記』では6番目に登場し、『古事記』で重要な高天原に登場した最初の神「天之御中主神」(あめのみなかぬしのみこと)は、『日本書紀』本書には登場さえしません〔4番目の「一書」(別伝の書)に紹介されているだけ〕。『日本書紀』は、未分離の状態から天地が自然に分かれ、その大地から葦のようなものとして神が生まれてくるという、アニミズムを濃厚に引きずった話なのです。高天原という天界の名も、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が天照大神(あまてらすおおみかみ)に会いに行く時に初めて出てきます。2つの神話がこれほどに違いながら、『古事記』だけで日本神話を説明できると思う感覚は、不勉強の故としか思えません。
2 「日本の国の誕生である」とは?
それはともかく、この教科書コラムは、イザナキとイザナミが「大八島国(おおやしまぐに)」を生み終えた話の後に、いきなり 「日本の国の誕生である」と結んでしまいました。いくら神話の説明だと断っているとは言え、これを中学生が読んだとき、「日本」という国家の、歴史上の形成過程に何か関係があるように思えてしまうでしょう。教育的配慮がなさすぎます。
3 質問されたらどうするつもり?
天の岩屋神話にも、教育的配慮がありません。この段は、天照大神こそが高天原の主宰神であり、かつ地上の葦原中国(あしはらなかつくに)をも貫く世界の秩序を保つ神なのだ、ということを「隠れ」と 「現れ」で主張した点に、その主題があるのですが、それをただ、出てきたので「世界に光がよみがえった」としか説明せず、天照大神を出すための踊りについて、「天のウズメの命がおもしろおかしく踊ったので、神々はどっと大笑いをした」などと書くのです。生徒が「〔おもしろおかしく踊った〕って、どんな踊りだったんですか?」と聞いたら、どう答えろと言うのでしょうか? 『古事記』には、「胸乳をかき出で、裳緒(もひも)を陰(ほと)に押し垂れき」とあるのです。こんな箇所をわざわざ紹介する品性と見識を疑います。
4 ほんとうに「もっとくわしく知ろう」
コラムに「もっとくわしく知ろう」という枠があり、「神話に登場する神々は、今も日本各地の神社でまつられている。地元にそんな神社があるか調べてみよう」とあり、「古代の神話に由来するものが、思いのほか多く残っている」と結論を先取りしてあります。ここには、歴史上の重要な変わり目が無視されています。それは、明治維新の際に新政府が推進した神仏分離(しんぶつぶんり)政策と、それによって日本各地で吹き荒れた、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐です。
1000年以上にわたった神仏習合(神仏習合)の実態にメスを入れた神仏分離令により、多くの神社で、祭神(さいじん)や御神体(ごしんたい)までもが、『古事記』に出てくる神々に合致するよう、変更されました。今、各地の神社の多くは、その時に新たに祀りなおした祭神や御神体を、伝統的なものとして説明していますから、中学生が調べても、維新以前の姿まではとても調べられず、その結果、近代以後の姿を、それ以前から続いていたものと誤認してしまいます。その誤認の結果が、「古代の神話に由来するものが、思いのほか多く残っている」という、この教科書記述になるのです。「日本の歴史」自体は、確かに「とぎれることなく、長くつづいてい」ますが、その間の大きな変化を掴まずには、歴史を学習したことになりません。
5 「天照大神は…皇室の先祖にあたり」…えっ?
「天照大神(あまてらすおおみかみ)は太陽の女神で、皇室の祖先神にあたり」とあるところは、教育的配慮がないという以上に、あまりにも乱暴な記述です。物語上ではそうなっていると書いただけだと 〔もっとも、『古事記』原文に「太陽の女神」という記述はありません〕弁解するかのように、このコラムの最後で、「とこの神話は語っている」としてはいますが……。
もちろん、『古事記』も『日本書紀』も、天武朝で強大な天皇権力が樹立され、8世紀初頭に律令制度が完成されたことを背景に、文字通りの天皇神話として編纂されたものですから、この背景を説明さえすれば、国家の強大な支配者としての天皇の祖先神には、天上界から地上界の統括までを担う天照大神こそが相応しかったのです、と説明できるのですが、そうした説明なしに、「皇室の祖先神にあたり」と書いてしまえば、何か恰(あたか)も、現在の皇室の祖先神です、と言っているような、荒唐無稽(こうとうむけい)な話に聞こえてしまいます。
6 このコラムの原型は?
実は、天(あま)の岩屋の話も、大国主命(おおくにぬしのみこと)の話も、すべて戦前昭和12年版の『尋常小學國史』上巻にあるのです。これらは、戦前においては、すべて天皇を神聖化する教育の一環でした。この教科書のいうように、神話は確かに「重要な文化遺産」ですが、8世紀に完成された、その背景と意味をしっかり教えなければ、ただの面白い話としてしか伝わらず、史実と混同もし、一歩間違えれば、天皇崇拝を強要した戦前教育と変わらなくなってしまいます。